パパペトルーの少女 ―芸術か猥褻か― [美術]
みなさんは、ポリクセニ・パパペトルー (Polixeni Papapetrou)というオーストラリアの女性写真家をご存じであろうか。僕は、リカさんのブログを読んで初めて知ったのだが、少女をテーマにした素敵な写真を発表しているアーティストである。今年、国立新美術館で開催された「アーティスト・ファイル 2008―現代の作家たち」展にて「ホーンテッド・カントリー」(2006)と「ゲームズ・オブ・コンシークエンス」(2008)の2つの連作が展示されていたので、ご覧になった方もおられると思う。公式サイトで、これらの作品が公開されているので、まずは、以下のリンクから彼女の作品をご覧ください。
・ホーンテッド・カントリー(Haunted Country)2006
・ゲームズ・オブ・コンシークエンス(Games of Consequence)2008
少し少女趣味が強いかも知れないが、物語性のある素晴らしい連作である。『不思議の国のアリス』、『ミツバチのささやき』、『ピクニックatハンギング・ロック』等がお好きな方には堪らない作品であろう。
パパペトルーの2003年の作品に「Dreamchild」というアリスやルイス・キャロルの写真をモチーフにした連作がある。この中の1枚を豪アート誌「アート・マンスリー・オーストラリア(Art Monthly Australia)」が、表紙に使ったところ、それが少女のヌード写真であったために、非難されたという。AFPBB Newsから引用する。
問題の「アート・マンスリー・オーストラリア(Art Monthly Australia)」July 2008 Number 211の表紙は、同誌の公式サイトで見ることができる。パパペトルーの公式サイトによると、この作品のタイトルは、「Olympia as Lewis Carroll's Beatrice Hatch before White Cliffs」である。題名から分かるように、これはルイス・キャロルの以下の写真がもとになっている。

ルイス・キャロル『ベアトリーチェ・ハッチ』 1873
これは、キャロルが撮影したベアトリーチェ・ハッチの写真を、彼の指示もと彩色させたものである。桑原茂夫の『図説 不思議の国のアリス』によるとキャロルは、「このような裸体に美しさを感じることを率直に表明しているが、その写真を撮るときには必ず親の許可を取るだけでなく、写真を個人的なものにとどめるために細心の注意を払った」という。
話をパパペトルーの作品に戻すことにする。AFPBB Newsによると、彼女の作品は、「こうした写真は児童の性的な搾取」であると非難されている。悲しいことに、世の中には子供を食い物にするけしからん輩が存在する。そして、子ども達を守るのは、人として当然の行為であり、僕も賛成である。しかし、だからといって、この作品が、ラッド首相達が言うように「率直に言って、このようなものには耐えられない」もので、「弁護の余地のないもので、社会に対する冒涜行為だ」とは思わない。分別ある大人であるはずの彼らの言葉より、モデルの少女が語る以下の言葉の方が真摯な感じがする。
「あの写真はとても気に入っていて、大好きな写真のひとつよ。ママはこれまでもずっと私の写真を撮ってきたわ。あの写真は搾取とは全く関係がないし、ヌードは芸術の一部だと思う」。
僕は、芸術だから何をしても良いとは思わないし、子供の権利は、当然、守られなければならない。しかし、この記事を読む限り、子供を守るためという名目でなされた発言によって、守られるべき当の少女が傷つけられたのである。オーストラリアでは、「芸術か猥褻か」という議論が盛んになっているそうだが、今回の非難は、政治的意図に基づく一種のスケープゴート探しだったような印象をうける。
「猥褻」という言葉を『広辞苑』で引くと、以下のように定義されている。
わい‐せつ【猥褻】
男女の性に関する事柄を健全な社会風俗に反する態度・方法で取り扱うこと。性的にいやらしく、みだらなこと
(『広辞苑』)
「健全な社会風俗」という曖昧なものを基準にした定義なので、人によってはかなり誤差の出る概念であろう。しかし、少なくとも僕は、パパペトルーの写真を見ても、この記述で定義でしようとしたようなイメージは抱かない。芸術か猥褻かというテーマは昔から散々議論されてきたが、なかには猥褻など存在しないという剛の者がいる。澁澤龍彦は、サド裁判の「最終意見陳述」で以下のように述べている。
ワイセツなどというものは、前に私はそんなものは世の中に存在しないと申しましたが、かりに実体ならざる観念として存在したにせよ、少しも危険なものではありません。なぜこれを取り締まる必要があるのでしょう。―(中略)―ワイセツよりも、もっと危険なものが世の中にはいっぱいあります。
(澁澤龍彦「最終意見陳述」 『サドは無罪か」より)
石川淳は、「花の魔術師」という文章で、サド裁判のことを以下のように記している。
なんとサドの徳の地にあまねきことよ。澁澤君講究の功は揣らずも日本の裁判所の牛にまで感涙をしぼらせるに至つた。花の車はみにくき牛に曳かせるががよい。
(石川淳は、「花の魔術師」)
流石に、石川淳は上手いことを言う。一度で良いからこのような名文を書いてみたいものである。だいぶ話がわき道にそれたが気にしない。最後に、ポリクセニ・パパペトルーの「Olympia and Olivia as Lewis Carroll's Annie and Frances Henderson 」のもとになったキャロルの作品を載せておく。

ルイス・キャロル『Henderson Annie and Frances 』
【参考文献】
『澁澤龍彦全集〈8〉』河出書房新社
『石川淳全集』第19巻筑摩書房
・ホーンテッド・カントリー(Haunted Country)2006
・ゲームズ・オブ・コンシークエンス(Games of Consequence)2008
少し少女趣味が強いかも知れないが、物語性のある素晴らしい連作である。『不思議の国のアリス』、『ミツバチのささやき』、『ピクニックatハンギング・ロック』等がお好きな方には堪らない作品であろう。

ピクニック at ハンギング・ロック ディレクターズ・カット版
- 出版社/メーカー: エスピーオー
- メディア: DVD
豪アート誌「アート・マンスリー・オーストラリア(Art Monthly Australia)」が6歳の少女のヌード写真を表紙に用いたことで、国内政治家や児童保護団体から非難を浴びている。
同誌は7月号の表紙で、少女が両脚で体を隠すようにポーズをとる写真を表紙に用いたほか、同じモデルによる2枚のヌード写真を掲載。編集長のMaurice O'Riordan氏は表紙写真について「ヌードと子どもが芸術のテーマになりうることを証明するために」選択したと語っている。
―(中略)―
ヘンソンの写真展を非難したケビン・ラッド(Kevin Rudd)首相は、アート・マンスリー・オーストラリア誌の表紙写真を真っ先に批判。「率直に言って、このようなものには耐えられない」と述べている。
野党・自由党のブレンダン・ネルソン(Brendan Nelson)党首もラッド首相に賛同し、表紙写真を「弁護の余地のないもので、社会に対する冒涜(ぼうとく)行為だ」と評した。
児童保護団体のへティ・ジョンストン(Hetty Johnston)氏は、「こうした写真は児童の性的な搾取」だとして、展示、販売、公開を目的に児童の裸を撮影することを禁止する新法の制定を求めている。「法律で明確にする必要がある。現行法はあてにならず、子どもたちを守ることはできない。やってはならないことを明確に示す線引きが必要だ」と、ジョンストン氏はテレビ局ナイン・ネットワーク(Nine Network)のインタビューで語った。
一方、表紙を飾った少女、オリンピア・ネルソン(Olympia Nelson)ちゃん(11)は、母親でもあるカメラマン、Polixeni Papapetrouさんが2003年に撮影した問題の写真をとても誇りにしており、ラッド首相の言葉には「本当に傷ついた」と語る。
「あの写真はとても気に入っていて、大好きな写真のひとつよ。ママはこれまでもずっと私の写真を撮ってきたわ。あの写真は搾取とは全く関係がないし、ヌードは芸術の一部だと思う」。
(AFPBB News 2008年07月09日 より)
問題の「アート・マンスリー・オーストラリア(Art Monthly Australia)」July 2008 Number 211の表紙は、同誌の公式サイトで見ることができる。パパペトルーの公式サイトによると、この作品のタイトルは、「Olympia as Lewis Carroll's Beatrice Hatch before White Cliffs」である。題名から分かるように、これはルイス・キャロルの以下の写真がもとになっている。

ルイス・キャロル『ベアトリーチェ・ハッチ』 1873
これは、キャロルが撮影したベアトリーチェ・ハッチの写真を、彼の指示もと彩色させたものである。桑原茂夫の『図説 不思議の国のアリス』によるとキャロルは、「このような裸体に美しさを感じることを率直に表明しているが、その写真を撮るときには必ず親の許可を取るだけでなく、写真を個人的なものにとどめるために細心の注意を払った」という。
話をパパペトルーの作品に戻すことにする。AFPBB Newsによると、彼女の作品は、「こうした写真は児童の性的な搾取」であると非難されている。悲しいことに、世の中には子供を食い物にするけしからん輩が存在する。そして、子ども達を守るのは、人として当然の行為であり、僕も賛成である。しかし、だからといって、この作品が、ラッド首相達が言うように「率直に言って、このようなものには耐えられない」もので、「弁護の余地のないもので、社会に対する冒涜行為だ」とは思わない。分別ある大人であるはずの彼らの言葉より、モデルの少女が語る以下の言葉の方が真摯な感じがする。
「あの写真はとても気に入っていて、大好きな写真のひとつよ。ママはこれまでもずっと私の写真を撮ってきたわ。あの写真は搾取とは全く関係がないし、ヌードは芸術の一部だと思う」。
僕は、芸術だから何をしても良いとは思わないし、子供の権利は、当然、守られなければならない。しかし、この記事を読む限り、子供を守るためという名目でなされた発言によって、守られるべき当の少女が傷つけられたのである。オーストラリアでは、「芸術か猥褻か」という議論が盛んになっているそうだが、今回の非難は、政治的意図に基づく一種のスケープゴート探しだったような印象をうける。
「猥褻」という言葉を『広辞苑』で引くと、以下のように定義されている。
わい‐せつ【猥褻】
男女の性に関する事柄を健全な社会風俗に反する態度・方法で取り扱うこと。性的にいやらしく、みだらなこと
(『広辞苑』)
「健全な社会風俗」という曖昧なものを基準にした定義なので、人によってはかなり誤差の出る概念であろう。しかし、少なくとも僕は、パパペトルーの写真を見ても、この記述で定義でしようとしたようなイメージは抱かない。芸術か猥褻かというテーマは昔から散々議論されてきたが、なかには猥褻など存在しないという剛の者がいる。澁澤龍彦は、サド裁判の「最終意見陳述」で以下のように述べている。
ワイセツなどというものは、前に私はそんなものは世の中に存在しないと申しましたが、かりに実体ならざる観念として存在したにせよ、少しも危険なものではありません。なぜこれを取り締まる必要があるのでしょう。―(中略)―ワイセツよりも、もっと危険なものが世の中にはいっぱいあります。
(澁澤龍彦「最終意見陳述」 『サドは無罪か」より)
石川淳は、「花の魔術師」という文章で、サド裁判のことを以下のように記している。
なんとサドの徳の地にあまねきことよ。澁澤君講究の功は揣らずも日本の裁判所の牛にまで感涙をしぼらせるに至つた。花の車はみにくき牛に曳かせるががよい。
(石川淳は、「花の魔術師」)
流石に、石川淳は上手いことを言う。一度で良いからこのような名文を書いてみたいものである。だいぶ話がわき道にそれたが気にしない。最後に、ポリクセニ・パパペトルーの「Olympia and Olivia as Lewis Carroll's Annie and Frances Henderson 」のもとになったキャロルの作品を載せておく。

ルイス・キャロル『Henderson Annie and Frances 』
【参考文献】
『澁澤龍彦全集〈8〉』河出書房新社
『石川淳全集』第19巻筑摩書房























>ルイス・キャロル『ベアトリーチェ・ハッチ』 1873
この彩色写真美しいですね。まるで、ロココ時代の絵画のようです。
写真集も拝見しましたが、異国情緒が漂っていて、時を超越して19世紀に思いを馳せました。アヘン戦争やアロー号事件に出てくるジャンク、色彩豊か、と言うよりは派手すぎるお茶箱。どれも詩情に溢れています。が、一つ難点は、その辺の情緒が明確すぎるので、一捻りあってもよいのかもしれません。それでも、前半の闇を背景にしてとられた肖像写真は、美しい。
by アヨアン・イゴカー (2008-07-14 09:04)
猥褻な感じは全くありませんね。むしろ。清潔感を感じます。
by SilverMac (2008-07-14 09:32)
「ピクニック・・」も「ミツバチ・・」と同じく映像詩的な作品で
私は大好きです!私は性別的には女ですが、昔から
少女物が好きなので(笑)、少女→ヌード→猥褻という捉え方には
少し?ですが、確かに少女を食い物にする輩やそれに付随する
猟奇犯罪も増えているのは事実の様ですし、規制もやむなし
なのかもしれません・・・。
本当に線引きが難しい分野であることは、確かですよね。
思うに、作品の猥褻性を決めるのは対象への視線の在り方
ではないでしょうか?
by 碧蝉 (2008-07-14 15:44)
センシティブな問題ではあると思います。
「扇情的」写真と「健康な」芸術写真は地続きでそう遠くない所にありそうで。
普通の行いも場所を違えれば犯罪で、普通の思いも口に出すと犯罪かも。
ということで、少し引いて、勇気ある他の人のコメントを待ってみます。
by 春分 (2008-07-14 17:33)
>アヨアン・イゴカー さん、nice!&コメントありがとうございます。
仰るとおり、ルイス・キャロルの彩色写真は美しいですね。写真と絵画の中間のような作品なので、独特な魅力があります。キャロルの白黒写真より、上品な印象をうけるのが少し不思議です。
>その辺の情緒が明確すぎるので、一捻りあってもよいのかもしれません。
真っ向勝負を挑みすぎる傾向があるかもしれません。しかし、それもある意味、一つの個性のような気がします。パパペトルー は、最近知ったばかりの写真家ですが、目が離せないアーティストだと思います。
>SilverMacさん、nice!&コメントありがとうございます。
ご賛同いただき、ありがとうございます。
人によって感じ方が違うのは当然ですが、表紙を見る限り「社会に対する冒涜」だとは思えません。素敵な作品だと思います。
>碧蝉さん、コメントありがとうございます。
同じものを見ても人によって感じ方が違うので、明確な芸術と猥褻の線引きは不可能だと思います。また同じ作品でも、展示される環境によって、印象はかなり変わります。ティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』も美術館で見ると何とも思いませんが、街中で巨大なポスターを見るとドキッとしました。(笑)
少女を食い物にする輩は、当然厳しく取り締まるべきですが、「少女→ヌード→猥褻」という単純な図式化は止めて欲しいものです。デリケートで難しい問題ですが、良い方向に進んで欲しいと思います。
>春分さん、nice!&コメントありがとうございます。
>「扇情的」写真と「健康な」芸術写真は地続きでそう遠くない所にありそうで。
猥褻と芸術の間には共通部分があると思います。結局は、対象をどう見るかによって変わるので、時代によっても変化しますし、どのような文脈に置くかによっても変わります。
断固として、子供達は守られなければなりませんが、それを口実にした愚かしい規制も困ります。明確な解答のない問題ですが、多少なりとも良い方向に進んで欲しいものです。
by lapis (2008-07-14 21:28)
lapisさん こんばんは。
どれをとっても作品個別の問題なので、
両方の意見があって丁度いいのではないでしょうか?
権威や権力による蓋をするような「規制」だけは反対です。
by moe (2008-07-14 22:55)
私のブログまでご紹介に与り、ありがとうございます。
>今回の非難は、政治的意図に基づく一種のスケープゴート探しだったような印象をうける。
私も同感です。パパペトルーを非難する人たちの言葉からして、写真そのものではなくそれを見る人の視点の問題にすりかえているのも釈然としませんね。ヌードの少女写真=猥雑とはなから決め付けてかかる人からみればそれはもう芸術でもなんでもないのでしょう。何よりオリンピアちゃんがかわいそうで。
パパペトルー以前に娘(のヌード)を撮ったことで批判された母親の写真家も作品を撮り続けていますし、パパペトルーにもこうした圧力に負けずにいずれ写真集出してほしいものです。
by リカ (2008-07-14 23:02)
難しいことは分かりませんが、非難は的外れな気がします。
ババトルー史は女性の感性でとらえた芸術の対象がただ
幼児であったに過ぎない気がしますが如何でしょう。
もっとも写真好きな小生にとっては、好きな対象は別なところに
ありますが、、、。
by yoku (2008-07-15 05:41)
見る側の気持ちひとつですからねー
わいせつだと言う人は芸術が理解できな。。。。○△□×。。ww
by HAL (2008-07-15 13:59)
子供を性的対象としてみる人がいて、日本から海外に少女を相手にするために性的な欲求を満たすために旅行にでるけしからん輩がいるのをテレビで見た事があります。そういう人がいるから、芸術として美しいと思うものの表現を出来なくなる現実があるということが、残念です。
まあ、少女に限らず絵画などの女性のヌードをわいせつな目で見る人はあとを立ちませんし・・・・・。
美しいということの価値を、本当にわかる人が増えることを願うしかないんでしょうね・・・・。
by aoyamasijinn (2008-07-15 18:49)
>moe さん、nice!&コメントありがとうございます。
ある作品をどのように評価するかは、個人の自由だと思います。
ただ、特定の概念に従って、作品の質を無視し、単純に機械的に、法的規制を行うというのは反対です。より良い解決方法を見つけて欲しいものです。
>リカさん、コメントありがとうございます。
>写真そのものではなくそれを見る人の視点の問題にすりかえている
僕もそう思います。人間の感じ方は千差万別なので、同じ作品を見ても感じ方は異なると思います。この作品に関しては、素直に見れば、「可愛らしい写真」というのが一般的な見方だと思います。そこに、猥褻性を見いだす人の視点のあり方自体が猥褻なような気がします。パパペトルーへの非難は、ヘンソンの写真展で、規制するのに失敗したので、今度こそ、取り締まってやれ、というような側面があるような気がします。彼女の作品自体とは関わりのない思惑から、このような圧力がかかることは、悲しいことだと思います。
>yokuさん、nice!&コメントありがとうございます。
ご賛同いただき、ありがとうございます。
仰るように、パパペトルーは、自分が惹かれる対象を、素直に撮影しただけであり、
「児童の性的な搾取」というのは的外れな見解だと思います。
ですが、子供を守るためには、ある程度の規制も必要かも知れません。しかし、彼女の作品を猥褻という観点から取り締まるのは、問題のすり替えのような気がします。
明確な回答のない、難しい問題ですね。
>HALさん、nice!&コメントありがとうございます。
本当に、見る側の気持ち次第ですね。
当然、子供に対する配慮はなされなければなりませんが、画一的な規制はどうかと思います。
>aoyamasijinnさん、nice!&コメントありがとうございます。
仰るように、少女を食い物にするけしからん輩がいるのは、悲しい現実です。
是非とも、そのような輩は厳しく取り締まって欲しいのですが、
そのとばっちりを受けて、芸術作品が規制を受けるのは、嘆かわしいことだと思います。
>美しいということの価値を、本当にわかる人が増えることを
>願うしかないんでしょうね・・・・。
そう願わずにはおれませんね。
by lapis (2008-07-15 22:22)
アヨアン・イゴカーさんのサイドバーにあった「コメントした記事」にあり、
気になって参りました。
初めまして。私は両親が新潟なので勝手に親近感を持ちました。
パパペトルーの作品は芸術性を強く感ます。
by いっぷく (2008-07-16 20:06)
>nyanさん、nice!ありがとうございます。
>イリスさん、nice!ありがとうございます。
>いっぷくさん、はじめまして
nice!&コメントありがとうございます。
>私は両親が新潟なので勝手に親近感を持ちました。
こちらも親近感を抱きました。(笑)
>パパペトルーの作品は芸術性を強く感ます。
ご同意いただき、ありがとうございます。人によって感じ方が違うのは当たり前ですが、僕には彼女の作品が「社会に対する冒涜」だとは思えません。
by lapis (2008-07-16 21:04)
>IXY-nobさん、nice!ありがとうございます。
>noricさん、nice!ありがとうございます。
by lapis (2008-07-17 21:29)
小さな子どもたちが好きな僕にとって、児童ポルノの氾濫は、とても悲しく憤りを覚える問題です。
しかし、例えば水辺で楽しそうに遊んでいる裸の子供の写真が、児童ポルノのであるのかどうか…。それは、寧ろ観る側の意識に何があるかが、問われるべきものかも知れません。
また、「保護する」という考え方に、時に僕は非常な胡散臭さを感じます。
「自然保護」「人権保護」・・・。それは、あまりにも一方的であり、それを訴える人間の、尊大さや思い上がりが鼻につくことが多いように思います。
モデルの少女の言葉は、何かを「保護」しようとする人間が、「保護」するつもりでいる相手をまったく無視しているという、将に思い上がっている現状を、切なくも批判しているように感じました。
by albireo (2008-07-23 00:27)
albireoさん、nice!&コメントありがとうございます。
>「保護する」という考え方に、時に僕は非常な胡散臭さを感じます。
僕もそう思います。「自然保護」という言葉には、人間はワンランク上の存在という認識があると思います。所詮人間も自然の一部であり、哺乳類の仲間でしかないのに、どこか別格の存在と思い込んでいるところがあるような気がします。
今回の騒動も、モデルの少女の気持ちは蚊帳の外に置き、自分たちの信じる理念を述べているだけであり、何となく空々しい印象を受けました。
批判者にとっては、非難するのは誰の作品でも良く、今回はたまたまパパペトルーの作品が目に付いただけのようです。はじめに結論ありきというような型にはめた類型的な思考は、場合によってはかなり有害なような気がします。
by lapis (2008-07-23 22:34)
写真を盗んですみません。
じぶんの心臓に血液と一緒に取り込みたかったので
でも
ごめんなさい。
ミツバチのささやき
は
特別です。スペシャルです。
フランケンシュタイは存在します。
ウィスパーボイスは
大声しか通用しない社会を
ビジネスを
そのうちきっと、根底から揺るがします。指摘します、
I'm not living
I'm just killing time
Your tiny hands
Your crazy kitten smile
ピクニック at ハンギング・ロック
は
あまり覚えていませんが
あの監督がオーストラリアにいたころの
実話でしたっけ?
ストーリーは物語は忘れたけど
「印象」は
消えません。
監督がアメリカに渡って
パスポートを取る女の映画を
取りましたが
ピクニックをしていたほうが素敵です。
恐いけど強くなくて
繊細だけど欠陥に満ちていて
溺れるような
少女たち
の
姿
血管から、やはり心臓に。
by 社会的な評価とか批判なんて関係ないと思います (2008-07-24 21:55)
ゼロさん、コメントありがとうございます。
ゼロさんも『ミツバチのささやき』がお好きと知って、とてもうれしいです。
『ピクニック at ハンギング・ロック 』は、ストーリーを楽しむというよりは映像や雰囲気を楽しむ作品だと思います。
>社会的な評価とか批判なんて関係ないと思います
僕もその通りだと思います。
ただ、批判はあっても当然ですが、作品の「規制」は可能な限り避けて欲しいものです。
by lapis (2008-07-25 00:31)
はじめまして。記事を読み、サリー・マンやイリナ・イオネスコを思い出しました。私はどちらの作品も大好きで、特にサリー・マンはかつて自分のホームページで紹介していたこともあります(今はありません)。
猥褻かどうか、児童虐待かどうかは私の断ずるところではありませんが、肯定する者は黙し、否定する者は大声で非難するのが常なので、こうした形で擁護する声が聞けるのはとても喜ばしいことと思います。
ヌード=猥褻というのはあまりに短絡すぎますが、少女が被写体であると、確かに微妙な問題ではあります。しかし、今回の件では、その少女自体の言葉が本質を衝いてるのではないでしょうか。
by みき♂ (2008-07-26 03:19)
みき♂さん、はじめまして
コメントありがとうございます。
サリー・マンやイリナ・イオネスコの作品も素敵ですね。
見る人によっては良い印象を持たないかも知れませんが、僕は素晴らしい作品だと思います。
被写体が少女なので、当然少女の権利は守られなければなりません。また、児童ポルノなどは、当然、取り締まれなければならないと思います。しかし、今回の件では、守る対象である少女をいい大人がかえって傷つけるという矛盾が生じています。難しい問題ではありますが、より良い解決法を見つけて欲しいものだと思います。
by lapis (2008-07-26 20:33)
み〜ちゃん、nice!ありがとうございます。
by lapis (2008-08-01 21:35)