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トマス・コール『タイタンの酒杯』 [美術]

彼の視野のなかで消散したり凝聚したりしていた風景は、ある瞬間それが実に親しい風景だったかのように、またある瞬間は全く未知の風景のように見えはじめる。
                                      (梶井基次郎『ある心の風景』)


僕が、初めてトマス・コール(Thomas Cole)の名前を知ったのは、1996年にピナコテーカ・トレヴィル・シリーズの1冊として出版された『ハドソン・リヴァー派画集』であった。彼の描く壮大な風景画は、神話的な不思議な魅力を持っている。なかでも、 『タイタンの酒』という作品は、印象的だった。

タイタンの酒杯
トマス・コール『タイタンの酒杯』 1833

ドイツロマン派を連想させるような風景のなかに、山より巨大な酒杯が描かれている。これは明らかに自然の造型ではありえない形態である。しかし、緑で覆われた岩でできており、人工物にも見えない。更に不思議なことには、この巨大な杯を満たす水の中には、帆船がいくつか浮かんでいる。そして、杯から溢れる水は、海へと流れ込んでいる。まるでファンタジーに登場する異世界の風景である。


タイタンの酒杯(部分)
トマス・コール『タイタンの酒杯』(部分)

『タイタンの酒杯』は、トマス・コールの作品のなかでも異色作で、ちょっとルネ・マグリットの作品を連想させるような要素を持っている。異質なものを組み合わせるという手法は、シュールレアリスム的であると言えよう。しかし、この作品には、マグリットのようなコラージュ的な印象はなく、一つの調和した世界を創り出している。人見伸子の解説によると、この絵は、古代ローマの伝説から着想を得たものだという。

マケドニア出身の建築家デイノクラテースがアレキサンダー大王に語ったところによると、ギリシャのアトス山は左手に大きな都市、右手に大きな杯を持った巨人に姿を変え、杯には山の川の水がすべて流れ込み、海へ注がれていくという。自然を擬人化したこのエピソードは、時には荒唐無稽とも思えるコールの風景画の資質と見事に合致したのである。
           (人見伸子「蒼穹の内なる神への想い」『ハドソン・リヴァー派画集』所収)

アトス山
作者不詳『アトス山』(『歴史的建築様式図版集』 1721年 ウィーン)

アメリカ最初の本格的風景画家と呼ばれるトマス・コールは、1801年にイギリスのランカシャーで生を受け、17歳の時アメリカに移住した。初期のコールは、聖書や文学作品から得た主題をハドソン川流域の風景のなかに描いていた。しかし、やがてアメリカの歴史と風景に満足できなくなったコールは1829~32年の間、ヨーロッパに留学する。クロード・ロラン等の伝統的絵画の研究や、ターナとの出会いなど、この留学は中身の濃いものであったようだ。そして、帰国後に完成したのがこの『タイタンの酒杯』なのである。谷川渥は、『廃墟の美学』のなかで面白いことを言っている。

歴史のないアメリカで廃墟を意匠とすることにはやはり無理があり、《タオルミナから望むエトナ山》のように、題材をヨーロッパに求めるか、さもなくば《タイタンのゴブレット》を極端な一例とする幻想絵画として構想するしかなかったように思える。
                               (谷川渥『廃墟の美学』)

Thomas_Cole
トマス・コール

トマス・コールは、『アメリカ風景画に関するエッセー』のなかで、「聖ヨハネは砂漠で祈った。神を語るには荒野は今でも最適な場所なのだ。」と述べている。 桑原住雄は、コールの手法を以下のように評している。

自然の風光こそ聖なる神の姿そのものだという立場から,自然を精細に描くことによって,神に近づこうとしたのがコールの方法であった。
                            (『世界大百科事典』 平凡社)

コールはこの方法で、彼が愛するハドソン川流域の風景を書き続けた。やがて彼を慕う若い画家達が集まり、一派を形成する。人々は彼らを、ハドソン・リヴァー派と呼ぶようになった。

人生の航路 老年期
トマス・コール『人生の航路 老年期』 1840

コールの代表作に、『人生の航路』という連作がある。これは、人の一生を船旅にたとえた作品で、『幼年期』、『青年期』、『壮年期』、『老年期』の4部で構成されている。上の絵は第4作の『老年期』で、守護天使に導かれて天上世界に向かう人生の終焉が描かれている。

兇天使 (ハヤカワ文庫 JA ノ 2-10)

兇天使 (ハヤカワ文庫 JA ノ 2-10)

  • 作者: 野阿 梓
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2008/02
  • メディア: 文庫
この絵は、今年復刊された野阿梓の『兇天使』の表紙に使われているので、ご覧になった方も多いと思う。

建築家の夢
トマス・コール『建築家の夢』 1840

最後に、もう1枚僕の好きな絵をあげておく。人見伸子によると、『建築家の夢』は、建築家のイズィエル・タウンの注文によって製作されたが、タウンが気に入らなかったためコールに返却された作品だという。一見すると普通の風景画のようであるが、よく見ると不思議な作品である。一番手前の柱の上には、図面を広げた建築家の姿が描かれており、彼の眺める風景こそ“建築家の夢"なのである。千足伸行は、以下のように解説している。

彼の前には過去の様々な建築様式が壮大なヴィジョン(夢)として展開している。画面右にはギリシャ、ローマの神殿、その上にそびえ立つエジプトのピラミッド、画面左には中世のゴシック様式の聖堂、その向こうの入り江にはエジプトのオベリスクなどが見え、建築の歴史を一望できる絵にもなっている。
                 (千足伸行「トマス・コール」『すぐわかる画家別幻想美術の見かた』)

人見伸子は、この絵はコール自身の夢、すなわち「ヨーロッパの過去の歴史を振り返ることで未来への希望をつなぐ夢」を描いたものだと推測している。コールは、この絵を完成した8年後に47歳の若さで、この世を去っている。

【関連記事】
ピナコテーカ・トレヴィル

【参考文献】
ハドソン・リヴァー派画集 (ピナコテーカ・トレヴィル・シリーズ)

ハドソン・リヴァー派画集 (ピナコテーカ・トレヴィル・シリーズ)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: トレヴィル
  • 発売日: 1996/07
  • メディア: ハードカバー

すぐわかる画家別幻想美術の見かた

すぐわかる画家別幻想美術の見かた

  • 作者: 千足 伸行
  • 出版社/メーカー: 東京美術
  • 発売日: 2004/11
  • メディア: 単行本

廃墟の美学 (集英社新書)

廃墟の美学 (集英社新書)

  • 作者: 谷川 渥
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2003/03
  • メディア: 新書
『世界大百科事典』 平凡社

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コメント 16

SilverMac

写実的でファンタスティックな絵ですね。
by SilverMac (2008-11-23 21:50) 

エリザベート

トマス・コールが今も存命だったら・・・今の建築をどんな風に表現するだろう・・?そんな事を思いました。過去の建築物、どれもホントに芸術作品ですものね。
by エリザベート (2008-11-23 22:29) 

moe

lapisさん おはようございます。
「建築家の夢」はとってもステキな絵なのに
イズィエル・タウンさんは何が気にいらなかったのでしょうか?
ガウディさんの聖家族教会がさまざまな建築家さんの手で
完成に向かうように、100年に一度ぐらい建造物を
プラスしていくのも面白いのかななんて思ったりします。
by moe (2008-11-24 06:55) 

sophia

『タイタンの酒杯』まことに不思議な絵ですね。
映画化すれば面白そう。などと、この絵から
幻想的な映像を想像しています。
by sophia (2008-11-24 11:01) 

lapis

>SilverMacさん、nice!&コメントありがとうございます。
ロマン派風のドラマチックな風景画が多いのですが、
なかでもこの『タイタンの酒杯』は幻想的な作品だと思います。

>エリザベートさん、nice!&コメントありがとうございます。
>トマス・コールが今も存命だったら・・・今の建築をどんな風に表現するだろう・・?
トマス・コールが現在のアメリカを見たらどのように思うのか、興味があります。高層建築に驚嘆するとは思いますが、ある種の失望を感じるような気もします。

>HALさん、nice!ありがとうございます。

>エルティアさん、nice!ありがとうございます。

>moeさん、nice!&コメントありがとうございます。
>イズィエル・タウンさんは何が気にいらなかったのでしょうか?
僕もこの絵が大好きなので、理由が全く想像できません。
ひょっとするともっと現実的な絵を期待していたのかもしれません。
>完成に向かうように、100年に一度ぐらい建造物を
>プラスしていくのも面白いのかななんて思ったりします。
僕も賛成です。きっと面白い作品になると思います。
時代を超えた画家達の連作、可能ならば見てみたいものです。。

>sophiaさん、コメントありがとうございます。
>映画化すれば面白そう
仰るとおり、ファンタジー映画の一場面に使えそうな絵ですね。
この世界の帆船は空を飛ぶことができ、酒杯の水はちょうど飛行場のような機能を果たしているなどと、夢想してしまいます。(笑)
by lapis (2008-11-24 17:14) 

アヨアン・イゴカー

『タイタンの酒杯』は随分モダンな絵に見えました。
既成観念の強い保守的な社会でも、夢や神話と言う題材にすることで、芸術家は自由に羽を伸ばすことができます。トマス・コールは夢想家だったのでしょうね。
by アヨアン・イゴカー (2008-11-24 17:33) 

pistacci

また素敵な作家を紹介してくださってありがとうございます。
なんとなく、lapisさんの好みがわかるかなぁ、なんて(笑)。
終焉のとき、こんな天使にみちびかれていけると、よいかも、なんて、
ちょっと思いました。青年期などは、どんな絵なのでしょう。
機会あったら、見たいな、って思いました。
by pistacci (2008-11-24 21:02) 

lapis

>アヨアン・イゴカーさん、nice!&コメントありがとうございます。
トマス・コールは、ヨーロッパ絵画の単なる模倣ではなく、アメリカ絵画を確立した一人ですから、強烈な個性を持っていたと思います。その独自性が、今日の目から見てもモダンなのかもしれません。

>pistacciさん、nice!&コメントありがとうございます。
>なんとなく、lapisさんの好みがわかるかなぁ、なんて(笑)。
僕の趣味がバレバレでしょうか?(笑)
トマス・コールの作品を気に入っていただけたようでうれしいです。
『人生の航路』の連作は、あくまでも風景が主役ですが、キリスト教的な雰囲気に溢れた作品です。そのうち、気が向きましたら紹介してみたいと思います。ただし、いつになるかは、分かりませんが。(苦笑)


by lapis (2008-11-25 22:05) 

lapis

aoyamasijinnさん、nice!ありがとうございます。


by lapis (2008-11-26 20:24) 

Junko

この酒杯の絵は面白いですね。崖ふちに佇み水かさに
今にも傾きそうな危なげな様子。しかしこの中で浮かぶ
船はその事実すら知らない、大自然に浮かぶ
人間の生命の象徴のような、そんな感じがしました。
産業革命の真っただ中に生きた19世紀初期から半ば頃活躍した芸術家、作家たちは幻想性の強い表現が多くて面白いです。フランケンシュタインやドラキュラの小説が書かれたのもこの頃であること不思議でないです。
by Junko (2008-11-27 03:05) 

mistletoe

お久しぶりです。
あらためてトレヴィルってマニアックで面白い本出していたな~
と思いました。私もこのトマス・コール『タイタンの酒杯』 には
度肝を抜かれた記憶が。
う~~~~ん。。。ユートピア!
by mistletoe (2008-11-27 18:55) 

lapis

>Junkoさん、コメントありがとうございます。
>船はその事実すら知らない、大自然に浮かぶ
>人間の生命の象徴のような、そんな感じがしました。
なるほど、確かにそのような解釈が可能ですね。とても合理的な解釈だと思います。僕の場合は、ファンタジー的ビジュアルに惑わされ、そちらの方面しか頭が回りませんでした。
産業革命と幻想小説の関係は、興味深いですね。それとは関係ないのですが、笠井潔のフロンティアの消滅や都会における闇の消失が探偵小説の誕生に繋がったという論を思い出しました。

>mistletoeさん、nice!&コメントありがとうございます。
>あらためてトレヴィルってマニアックで面白い本出していたな~
仰るとおりですね。最近何冊か復刊されていますが、どちらかと言えば、一般向けのもので、マニアックなものはなかなか出ないようです。(苦笑)
トマス・コールの『タイタンの酒杯』 は、一目見ると忘れられない、印象的な絵ですね。

by lapis (2008-11-27 19:43) 

み〜ちゃん

とてもきれいで不思議な絵ですね。
こういう絵は好きです。
すごく大きな酒杯。 タイタンの酒杯なら当然なのでしょう。
酒杯の上で遊んでいるヨットもタイタンに飲み込まれてしまいますね。
それとももう滅んだ神々の遺物扱いなのかしら?
などと,想像をふくらませてました^^
by み〜ちゃん (2008-11-27 21:33) 

春分

ほー、トマス・コール?うーん、そっくりな人を知ってます。
「タイタンの~」と言われると「妖女」かな(あー、「幼女」って変換してしまう)。
by 春分 (2008-11-27 23:20) 

lapis

>み〜ちゃん、nice!&コメントありがとうございます。
>酒杯の上で遊んでいるヨットもタイタンに飲み込まれてしまいますね。
>それとももう滅んだ神々の遺物扱いなのかしら?
どちらの想像も面白いですね。特に「滅んだ神々の~」は、面白そうです。
仰るように、いろいろな物語を紡ぎ出すことができる楽しい絵だと思います。

>春分さん、nice!&コメントありがとうございます。
>ほー、トマス・コール?うーん、そっくりな人を知ってます。
それは、それは、一度お会いしてみたいものです。
確かに、タイタンといえば、「妖女」ですね。
「幼女」だと別の世界になってしまうような。(笑)
by lapis (2008-11-28 19:32) 

lapis

sanesasiさん、nice!ありがとうございます。


by lapis (2008-12-04 22:42) 

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